ママちゃんが愛したワンコたち~ペルがお月様になった日☆
2012-11-20(Tue)
その日の朝、
「ペル。そろそろお迎えが来る…。みんな会ってやってくれ…」
と、父がみんなに告げた。
その言葉に恐る恐る2階に上がると、大きなお目目をしっかり見開いて横たわるペルがいた。
静かだが、確かに息もしている。
呼びかけても撫でても反応はない。
なぜかとても穏やかで厳粛な時間が流れていた。
前日急遽浜松への出張を命じられたパパは横たわるペルをたくさん撫でて出勤。
ペルが不思議な力で家族全員を集めたのかな…。
私はニニくんを起こした。
「バイバイしないといけないかもしれないからぺーぺの所に行こう。」
いつもは、とっても寝起きの悪いニニくんが素直に起きてペルのもとへ…
イイコイイコしながら、
「バイバイね…」
と言った。
明日で生後1カ月を迎えるネネちゃんにも、もう1度ペルに触れさせた。
ペルの最期がもうすぐだということが何となくわかった。
抱きしめたかったが、その役目を私がやってはいけないと思った。
1階には朝食の準備をする母がいた。
ペルが一番大切で一番愛する存在だ。
私「朝食の準備なんかいいからペルの所に行ってやって!ペル待ってるから!」
母「コワいからいい。わかってるから…私は…いい。」
私は半無理矢理2階に母を連れて行った。
すると、動く力も残ってないはずのペルが最後の力を振り絞っているのか、バタバタと手足を動かし起き上がろうとする。
ペルの母に対するとてつもない愛情の強さを実感した光景だった。
母は、いつものように名前を呼びながら
母「ペル。起きようとしてくれるの。ありがとね。ペルはイイコだね…」
と、撫でながら褒めてあげると、言うことを聞いたようにペルの動きがピタっと止まった。
しばらく撫でた後、
母「ママは朝ご飯の準備するから下に行くからね。イイコにね…」
と毛布をかけ1階に下りて行った。
私は母を連れ戻しに行ったが、
母「いいの。わかってるの。」
と、顔をコチラに見せてくれなかった。
私が2階に戻る1分経つか経たないうちに、さっきまで見開いていた目を閉じ、ペルの呼吸は止まっていた。
17年過ごしたペルを失う母の気持ちも理解できなくはないが、最期の時は腕の中で逝かしてあげてほしかったな。
でもペルは聞き分けのいいこだったから、抱っこしてもらえないってわかって最期に母に褒めてもらって撫でてもらえたことに満足しちゃったのかもしれない…
不思議なことに私は思ってたよりも悲しくはなかった。
むしろ、前日の背中を向けたお座り姿を見た時の方が悲しかった。
『お疲れ様』『頑張ったね』『ありがとね』の気持ちの方が強かった気がする…
そして、自分も母親になったからなのか、
理解していないニニくんを前にしてペルの『死』をちゃんと伝えなければ…と思った。
(その日の夜、お風呂に浸かりながらペルにもう会えないってことを思った時アホみたく号泣したんですけどね…)
ペルのお葬式とお別れをする。
仏壇から持ってきたお線香を上げるだけのさみしいものだった。
生涯たった1着しかなかった私が作ったお洋服。母と父のニオイがついた衣類。私が子供の頃から大切にしていて、ペルがよく狙っていたぬいぐるみ。ニニくんのお手紙。家にあった少しのお花を彼女のお気に入りのタオルと毛布に置き、ペルを包んだ。
母は、大切に抱えて父と家を出た。
「行ってらっしゃい」と手を振るニニくん。
ドライブ嫌いのペルが最後のドライブに出かけて行った。
2時間ほどで父と母が帰ってきた。
「ジイジ!バアバ!ぺーぺおかえり~♪」
と迎えるニニくん。
ペルが居ないことがわかり、今日初めて大泣きをし始めた。
死というものは、永遠のお別れでとてつもなく悲しいってことに気が付いたようだ。
母「ペル… 600円だった… 重さ測って… 600円だった…」
火葬の料金だった。
スゴイ空しさが襲ってきたが、どうすることもできなかった。
その時も今みたくペット霊園とかあったのかな…?
母「ペルより大きい猫ちゃんとお空に昇って行ったよ…一人ぼっちじゃないから淋しくないよね…」
と、言っていた。
その日の夜ニニくんを寝かしつけてる時
ニニくん「ぺーぺはどこ行っちゃったの?」
私「ぺーぺはお月様になったんだよ…」
ニニくん「うさぎさんと一緒にいるの?」
私「みんなが泣いてばっかいると、気になって美味しいお餅がつけなくなっちゃうからね…ニコニコしていないとね…」
『虹の橋』や『雨降り地区』 (←どちらも音楽が流れます)
のお話など全く知らなかった私はそうニニくんに話しました。
あながち間違いじゃなかったのかな…
ペルのこと動物病院のいんっちょ(院長)先生に話したら
(その当時)「うちの患者さんで1番長生きでしたよ!お母さんよかったね!」
と、一緒に泣いてくれたそうです。
褒められるの大好きなペル。
母もいんっちょ先生に褒められて嬉しかったみたいだよ(*^_^*)
ペルから母へのプレゼントだったのかもね…
にほんブログ村
携帯(ガラケー)の方はコチラ↓でポチっ☆
ポメラニアンブログランキング
14年前の今日
1998年11月20日(月)午前8時ちょい過ぎ…ペルは逝った。
今日はペルの命日なんです。
「ペル。そろそろお迎えが来る…。みんな会ってやってくれ…」
と、父がみんなに告げた。
その言葉に恐る恐る2階に上がると、大きなお目目をしっかり見開いて横たわるペルがいた。
静かだが、確かに息もしている。
呼びかけても撫でても反応はない。
なぜかとても穏やかで厳粛な時間が流れていた。
前日急遽浜松への出張を命じられたパパは横たわるペルをたくさん撫でて出勤。
ペルが不思議な力で家族全員を集めたのかな…。
私はニニくんを起こした。
「バイバイしないといけないかもしれないからぺーぺの所に行こう。」
いつもは、とっても寝起きの悪いニニくんが素直に起きてペルのもとへ…
イイコイイコしながら、
「バイバイね…」
と言った。
明日で生後1カ月を迎えるネネちゃんにも、もう1度ペルに触れさせた。
ペルの最期がもうすぐだということが何となくわかった。
抱きしめたかったが、その役目を私がやってはいけないと思った。
1階には朝食の準備をする母がいた。
ペルが一番大切で一番愛する存在だ。
私「朝食の準備なんかいいからペルの所に行ってやって!ペル待ってるから!」
母「コワいからいい。わかってるから…私は…いい。」
私は半無理矢理2階に母を連れて行った。
すると、動く力も残ってないはずのペルが最後の力を振り絞っているのか、バタバタと手足を動かし起き上がろうとする。
ペルの母に対するとてつもない愛情の強さを実感した光景だった。
母は、いつものように名前を呼びながら
母「ペル。起きようとしてくれるの。ありがとね。ペルはイイコだね…」
と、撫でながら褒めてあげると、言うことを聞いたようにペルの動きがピタっと止まった。
しばらく撫でた後、
母「ママは朝ご飯の準備するから下に行くからね。イイコにね…」
と毛布をかけ1階に下りて行った。
私は母を連れ戻しに行ったが、
母「いいの。わかってるの。」
と、顔をコチラに見せてくれなかった。
私が2階に戻る1分経つか経たないうちに、さっきまで見開いていた目を閉じ、ペルの呼吸は止まっていた。
17年過ごしたペルを失う母の気持ちも理解できなくはないが、最期の時は腕の中で逝かしてあげてほしかったな。
でもペルは聞き分けのいいこだったから、抱っこしてもらえないってわかって最期に母に褒めてもらって撫でてもらえたことに満足しちゃったのかもしれない…
不思議なことに私は思ってたよりも悲しくはなかった。
むしろ、前日の背中を向けたお座り姿を見た時の方が悲しかった。
『お疲れ様』『頑張ったね』『ありがとね』の気持ちの方が強かった気がする…
そして、自分も母親になったからなのか、
理解していないニニくんを前にしてペルの『死』をちゃんと伝えなければ…と思った。
(その日の夜、お風呂に浸かりながらペルにもう会えないってことを思った時アホみたく号泣したんですけどね…)
ペルのお葬式とお別れをする。
仏壇から持ってきたお線香を上げるだけのさみしいものだった。
生涯たった1着しかなかった私が作ったお洋服。母と父のニオイがついた衣類。私が子供の頃から大切にしていて、ペルがよく狙っていたぬいぐるみ。ニニくんのお手紙。家にあった少しのお花を彼女のお気に入りのタオルと毛布に置き、ペルを包んだ。
母は、大切に抱えて父と家を出た。
「行ってらっしゃい」と手を振るニニくん。
ドライブ嫌いのペルが最後のドライブに出かけて行った。
2時間ほどで父と母が帰ってきた。
「ジイジ!バアバ!ぺーぺおかえり~♪」
と迎えるニニくん。
ペルが居ないことがわかり、今日初めて大泣きをし始めた。
死というものは、永遠のお別れでとてつもなく悲しいってことに気が付いたようだ。
母「ペル… 600円だった… 重さ測って… 600円だった…」
火葬の料金だった。
スゴイ空しさが襲ってきたが、どうすることもできなかった。
その時も今みたくペット霊園とかあったのかな…?
母「ペルより大きい猫ちゃんとお空に昇って行ったよ…一人ぼっちじゃないから淋しくないよね…」
と、言っていた。
その日の夜ニニくんを寝かしつけてる時
ニニくん「ぺーぺはどこ行っちゃったの?」
私「ぺーぺはお月様になったんだよ…」
ニニくん「うさぎさんと一緒にいるの?」
私「みんなが泣いてばっかいると、気になって美味しいお餅がつけなくなっちゃうからね…ニコニコしていないとね…」
『虹の橋』や『雨降り地区』 (←どちらも音楽が流れます)
のお話など全く知らなかった私はそうニニくんに話しました。
あながち間違いじゃなかったのかな…
ペルのこと動物病院のいんっちょ(院長)先生に話したら
(その当時)「うちの患者さんで1番長生きでしたよ!お母さんよかったね!」
と、一緒に泣いてくれたそうです。
褒められるの大好きなペル。
母もいんっちょ先生に褒められて嬉しかったみたいだよ(*^_^*)
ペルから母へのプレゼントだったのかもね…
にほんブログ村
携帯(ガラケー)の方はコチラ↓でポチっ☆
ポメラニアンブログランキング
14年前の今日
1998年11月20日(月)午前8時ちょい過ぎ…ペルは逝った。
今日はペルの命日なんです。